品川OLの腰掛日記

彼氏のことや仕事のことなど

転職つらい

何故俺はわざわざ東京まで出てきて転職活動にいそしまなければならないのだろうか。

若手に任せる仕事がない部隊へ配置される⇒部隊にMrパワハラがいて「もう会社行きたくない」状態に⇒Mrパワハラの魔の手から逃れるため先手を打つ(上司に相談)⇒さらに仕事が回ってこない⇒転職やむなし←イマココ

後半、完全に心が闇落ちしてて、朝自分を自分で殴りながら出社したり、お風呂に入れなくなったり、家事ができなくなったりしていた。

最終的に夜中に2リットルほど嘔吐しつつ「もう無理、これなら無職のほうがマシ、プライドなんかいらない、キャリアに穴が開いてもいい、むしろ穴があったら入りたい」となり、上司にメールで「無理ぽよ」と送信する羽目に。最悪すぎる。

これで「お前が悪い」って言われたらマジ切れできる、だけの元気はあんまりない。

そもそも人事よ、あなたは「女の子は実家の近くに配属します」と内定後に話してくれたじゃないか。何故私が一人東京送りになるのだ(まあ事情は薄々知ってるけどね)。

もちろん、「勤務地はどこでもいいです」と言った私にも非があるのかもしれない。しかしだ、その後私はこうも言ったはずだ。「私が活躍できる部署なら、どこでもいいです」と。それで東京勤務で来てみたら「お前に任せる仕事はない、帰れ」って話が全然違うじゃん!!!そりゃ精神病むよ!!!

みなさん分かりますか、客先でひとり、業務を与えられない若手の気持ちを。

部署唯一の女性社員で、同僚(男性社員)とはもちろん壁のある状態で、これをされたらもうたまったもんじゃないでしょ。

「あ、この会社にとって私は不要な人材なんだな」

自然とそう思いました。

主よ、我にまともな職をお与えください。ちゃんと働くから。

辞めたい

もともと関西採用でアプリをやりたかった。

気がついたら東京配属で、インフラだった。

私に向いてるところに配属して欲しいって希望を出したし、きっと向いてるんだろう。

そう思ったし、自分なりに努力はした。

でも与えられる仕事はもう本当お粗末なもので。

毎日千葉まで移動して、もう死にたいなって気持ちしか浮かんでこなくなった。

何が悪かったのか分からないし、このままではいけないということだけがわかる。

会社行けない その2

つい先ほど、明日の有給申請をした。

 

ちょっとそろそろヤバいな、と思ったりもするし、明日は心療内科と歯医者(行かなきゃ、と思いつつ行けてない)に行こうかな。

小学生のころかるーくいじめられて登校拒否をしようとしたことが複数回あったんだけど、母親にほぼ強制的に登校させられていた記憶しかない。低学年のころのことだからあまりよく覚えてないのだけど、いじめられたことより母親に登校拒否を拒否されたことのほうがよく覚えているのだから、まあ正直たいしたことなかったんだろう。

ずる休みに対する深い罪悪感は常々抱えている。そういうタイプの人間だったりする。

会社が~とか仕事が~とか、そういうことはもう言いたくない。単に運が悪かっただけだと思う。自分ではそうとは認識していなかったんだけど、もしかすると急に東京にきたことも一因なのかもしれない。

お前は必要ない。そういわれ続けているような気がずっとしている。

あんまり思い詰めてもいいことはないし、とりあえず心療内科に行って客観的な評価をしてもらった方がいいんだろう。

よくよく考えて、『関西出身で東京支社に異動して数か月の2年目かつ部署唯一の女性社員』に嫌がらせする先輩社員って終わってるよな・・・。まあ内容は本当に全然大したことないのだけど。ちょっとここに来てゆっくり休みたい気持ちも芽生え始めてるし、ここは自分に優しくしてあげたい:という気持ちと、『はあ?社会なめてんのかよ?せっかくお前みたいなできそこないを正社員で雇ってくれた会社を辞めるとか頭湧いてるんじゃね?甘えんな!』という気持ちももちろんある。

ただ、日に日に『もう無理ぽよ』という甘ったれた気持ちとエンカウントする率が上がってきててヤバい。

本当に普通に仕事をさせてほしい。そう思い続けてもう1年以上経った。

ちょっと本当に疲れているのかもしれない。

でも自分が甘いとも自覚してる。甘い!

でももう死にたい。

紙にデザインを追求したらタイベックになった話

これを買った。 

 前からタイベックに興味があった。そもそも紙が好きで、書くこともないのに無限にノートを購入するような子供だった。

 ついでにこんなのも買った。

BRUSHUP STANDARD タブレットケース FLY BAG PAD CASE L BR BUS222

BRUSHUP STANDARD タブレットケース FLY BAG PAD CASE L BR BUS222

 

 ブランド物の紙袋が捨てられない女の子は多いと思うけど、それはブランドのせいというよりそのデザインがそうさせるケースもあると思う。友達からCDを借りるとき、手近にあった紙袋にザッと入れられたCDケースが入るくらいのいい感じの大きさの紙袋はこれでした、というところでその人のセンスが痛いほど分かることはあるんじゃないかと思う。むしろ借りたCDよりどうでもいい紙袋のほうをよく覚えていることのほうが個人的には多い気がする。

その流れで行くと、最近は空き瓶を使った一輪挿しがマイブームだ。最近ジンジャエールのあの緑色の瓶を一輪挿しとして活用している。スーパーでひと束300円程度のお安いお花を、2、3本の空き瓶に一本ずつ挿している。部屋に緑があると落ち着く気がする。気休め程度でもいい。お手頃な緑化活動だ。

最近心が張り詰めている。数ヶ月くらい、仕事を休みたいという強い気持ちがある。

 

会社行けない

前々から予感はしていたのだけど、今日急に会社に行けなくなった。

 

理由としては、

・ エクセル職人にはなりたくない

・技術力が身につかない

・お客さんの内部や親会社の内部で揉めてて作業の目処どころか作業内容すら確定しない

・職場で嫌がらせを受けた(※対処済み)

・以前お世話になってたメンターが電撃転職をキメた

・関西採用で東京配属になって何故こんな状態なのか。何のための配属だったのか分からない。

 

などが挙げられます。

 

明日は頑張って出社したいです。

 

死にたい。

「コンビニ人間」を読んだ

私は幼いころはスチュワーデスになりたかったのだけど、それは母親が「スチュワーデスは素敵な仕事よ、スチュワーデスになりなさい」と言っていたから。そして、母がどうしてそんなことを言っていたかといえば、当時流行っていた、スチュワーデスを題材にした「やまなとなでしこ」というドラマのせいだった。

ANAの機内でのみ購入できるリカちゃん人形を買い与えられたものの、その造形の細やかさに感嘆しつつも、それ以上のきらめきを感じることは、私にはできなかった。

ひとは認識しているものにしかなれない。

この小説では、コンビニというどこにでもある世界、その世界を構成するコンビニ店員になることがある種の救いとして描かれている。この本ではコンビニを水槽のように表現している。確かに外から中が丸見え、四角い店舗のコンビニという世界は水槽みたいだ。そういえば、とある本で外交官は水槽を泳ぐ色とりどりの熱帯魚のようだと書かれているのを見た記憶がある。どこの世界も似たようなものなのだろう。

直接触れられない世界、例えばアフリカの難民という世界、そういうものに触れるためにボランティアという世界がある。ボランティアの世界とアフリカ難民の世界は、隣り合っていたとしても決して一つにはならない。透明な水槽であったとしても、そこには見えない壁があり、しきりがあり、混ざることを許されない。以前、「黒人」の子供たちに食事を提供する「白人」の大人という構図を皮肉った写真を見た記憶がある。つまりはそういうことだ。

人間が二人いれば、それだけで社会は構成されてしまう。

 

様々な社会を見て、そして排斥されてきた。

幼少期は、母親の教育方針によりお嬢様の通う幼稚園に入園した。自分が古いアパートの2階に住んでいる一方、おともだちの家の庭には鯉が泳いでいた。200坪も400坪もあるおうちに遊びに行って、狭いアパートに帰ってくる生活。母は恥ずかしがってアパートにおともだちを連れてくることを禁じた。卒園式のおうたは洋楽だった。私はこの社会の法律を理解すればするほど、自分がここにいてはいけないことを理解した。

これが小学校に入れば、女も学問だと言われ受験戦争に突入し、大学受験で失敗すればいい旦那さんを見つけなさいとなる。

たくさんの世界のたくさんの法律を見聞きしたために、社会同士が分かりあうことが不可能であるということだけは理解できた。

こういった世界で唯一希望なのが数学や音楽、将棋やオセロや芸術なのかな、とも思った。

これまで所属したどの社会ともうまくやっていけなかったために、今私はこうして一人でいる。これまで生きてきた社会が多様すぎて、どの法律を適用して生きていけばいいかわからないし、その法律のすべてが、私の中で絶対的になりえないからだ。

私が最後に体験した異文化はイスラームだった。日本だと時間に厳しいけれど、イスラーム圏の教授陣はそんなことはないように見えた。断食している先生を見て、それを「正しい」か「間違っている」か判断できるだろうか。礼拝している姿を見て、それをどう判断すればいいのだろうか。モスクに行って仏像がないというべきなのか、十字架がないというべきなのか。

独身で働いている女性に対して、どのような感情を抱けば正解なのだろうか。「経済に貢献している」のか「少子化に貢献していない」のか。意見を求められたとき、私は目の前にいる相手の立場によって意見を変えているけれど、それは自分がないことの裏返しなのかもしれない。法律を受容するだけ受容して、結局どの社会にも所属できなかったことの証明なのかもしれない。

再生産される価値観に戸惑いつつも、生きやすい世界を作り上げようという、そんな気持ちも昔はあったけれども、それも挫折に終わったような気がしている(サークルクラッシュ同好会がそれだ)。

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なんてことを考えつつ、もうそういうことは考えたくないという気持ちもあるんだよね~。考えたところで答えは出ないし。分析したその先、っていうのがね、着地点が見えないわけ。

周囲から「あなたはどこででも生きていけそう」って言われることがかなり多いんだけど、その源泉はここらへんにあるのかなとは思う。

クッソいろいろ考えた末に今思うのが、社会を変えることは難しいしほぼ無理だけど、社会を作ることは案外簡単なんじゃないかってことです。で、作った社会がほかの社会に影響を与えて、変革を促すのも可能なのかな~って。

そういうのが、起業とか、新興宗教とか、新ジャンルの音楽だったりするんじゃないのかな。