品川OLの腰掛日記

彼氏のことや仕事のことなど

歯医者さんと正しい医療知識の話

虫歯治療のために3軒ほど歯医者さんに行った。関東に人脈のない私は、評判のいい歯医者さんが分からなくて、とりあえずネットで調べて気になったところに行ってみたんだけど、1軒目は治療中に方針がコロコロ変わって断念、2軒目は手元が心許ないのと治療方針が雑過ぎて断念、3軒目にしてようやくある程度信用できる歯医者さんに巡り会えた。逢いたかったよドクター。

さてさて、2軒目の診察が終わったあたりで「ワシの歯はどうなるんや…先生によって見立てが全然違うのだけど」という疑念に駆られ、ネットで医療情報を調べるもネットであるが故に信頼性低く、困り果てた私は国立歯学部の友人にLINEするという荒技を使った。連絡された友人はいい迷惑だったと思う。しかしながら彼女に相談したところ、なんとも明快な見立てをしてくれた。持つべきものは友達である。涙。

そうして3軒目の歯医者さんでようやくまともな治療が受けられた。たぶん。世の中諦めないことが大事だということと、困ったら知人友人に頼るのがベストということを身をもって知ることができた。健康って大切。

無職になってゲーム漬けの日々になった

4月上旬に退職届を提出し現在有給消化中の身分なのだけど、残念なことにせっかくの休みを活かして資格や仕事の勉強をしようと思っていたのにゼルダをやりまくっている。

今はやりのゼルダBofWでは広大すぎるマップに翻弄され、まったくストーリーが進まない。というか難易度高い気がする。

RPGは10年くらいプレイしてなかったのだけど、こんなに完成度が高くなってるんですね。ゲームが人をダメにするその感じがようやく理解できた。私はスーファミ、64、ゲームキューブ、WillUまでは一通り使用していて自分ではまあまあ幅広く理解してるのかなぁと思ってたけど(任天堂ばかりで申し訳ない、ほかはPS2くらいだ)、スーファミと64の差が一番感動した気がする。画面が全然違うので。私が据え置き型の家庭用ゲーム機から離れた最大の原因は高校時代母親が雨の日に勝手にスーファミを捨てたことで、雨風にさらされている愛しの愛機を眺めて、もう怒りすら湧いてこず、ああもうゲームしても無意味だな、と思った次第である。よく私がお小遣いで購入した雑誌漫画の類は隠され捨てられしていたのだけどゲーム機はさすがにないよなあ、しかもスーファミ。ちなみに弟はガッツリゲーム大好きマンだったりする。弟のゲーム人生に幸あれ。

でもだめだな、こんなに面白いゲームなんかやってたら、本当に頭がおかしくなりそう。というかすごく堕落してしまう(現に今日は丸一日プレイしていた)。せめて5月11日に発売される攻略本を読んでからやるべきだ。

今回の件は深く反省している。マジで。今後はちゃんと時間を決めてゲームに取り組みたい。できるだけやらないように努力する。

 

 

周囲の女友達がみんなタカラヅカに飲み込まれた話

幼少期、仲の良かった友人がなぜか皆タカラヅカに憧れ、「なぜそうなるんだ・・・」と思った記憶がある。親の影響と本人の資質の問題なのだろう。たいてい母親がクラシックバレエを3歳くらいの娘に習わせるのがきっかけのような気がする(私の周囲はそのクチだった)。小学校高学年にもなれば会話は宙組の公演がどうこう花組のあの公演は観ただのそんな会話が中心で、なるほどだから私には幼馴染の友人がいないのね。

タカラヅカに限らず、ミュージカルが好きな女の子ってすごいのね、熱量が。私の知人友人にはジャニオタが皆無なのだけど、おそらくはその系統に近い(むしろ元祖)ような気がする。気が付けば俳優のファンクラブに加入し、目をキラキラさせながら「すっごくかっこいいの」を連発する。

小学生くらいまでにミュージカルにハマってしまうとガチでその道に進もうとするので見ているこっちはヒヤヒヤするんだけど、これが高校生くらいになると比較的平和にファンとして鑑賞する側に回るケースが多い。幼少期の教育が非常に大事だということがこういうことからも分かるわけだ。

けどまあ、楽しいわよね、ミュージカル。普通のお芝居よりかはミュージカルの方が好きかもしれない。こういう芸術は自己満足じゃなく、観客ファーストにならないといけないのかしら。ミュージカルって、なんていうか、役者さんのキラキラしてるオーラを浴びにいくような感じ。もちろんお芝居は大事なのだけど。この劇・ミュージカルを観たから私は役者を目指します、っていうのはわからないのよね。どんな演目でも十分素敵だと思います。なんていうか、舞台の上の役者さんの本気を見てね、あこがれるわけよ。だから私は素人さんのお芝居はあんまり好きではない、劇は特に。古典的な演目で、完成されたシナリオの中で、出演される役者さんがみんな本気なやつなら、いいと思うんだけど。やっぱりね、しょせんお芝居なんだけど、それを踏まえたうえで何ができるのかというのをしっかり考えなきゃいけない。例えば2時間の公演だとして、そこでの目玉は何なのかを明確にしたいというか。ビっとくるものをね。以前、劇をやってる知人から彼が参加した劇の話を聞いて、ああプロ意識のない劇なんて観に行くもんじゃないな、と思ってしまった。こういうことを言うと本気で頑張っている人たちに失礼だからちゃんと説明すると、劇はチームプレーです。つまり、誰か一人でも手を抜くと最悪。クラシックバレエで10人20人が同じ振り付けで踊る場面で一人だけテンポが遅れているともうそれだけでダメ。マジ最悪。わかる?そういうことなのよ。軍隊並みの規律が必要なのよ。だからね、お友達で仲良くやってるようなお芝居は、私は嫌いです。朝から晩まで稽古して、土日もレッスン、そういう人が「私は役者を目指していて」って言うならわかるんだけど、そうじゃなかったらね、もうダメ。そうじゃない人たちが「俺演劇やってて」とか言われると、それどっち?ガチのやつ?ガチのやつじゃないなら別に話聞きたくないよ?てかガチでやってるならそういう話しないよねたぶん?みたいな感じになるはず。我ながら他人に厳しすぎる。でも、クラシックバレエガチ勢の友人は小学生にして毎日腹筋150回腕立て伏せ100回のメニューをこなしていたし、それ以外の人間も似たり寄ったりだったので認識としては間違ってないはず。

新しい演目というのがあんまり好きではなくて、もちろん楽しいのだろうけど、今まである古典的なやつで十分というか、まず古典があって、そのうえで新規のものを観るべきと思うわけ。若い人たちが新しい演目に挑戦するたび、「違う!お前たちはまず古典をやるべきなんだ!」と思ってしまう。本当に私見で申し訳ない。こういう人間もいるんだよ、という温かい目で見てほしい。

急に子供が欲しくなる

最近ぼんやりと共同体について考えていて、ついさっき瞬間的に子供が欲しくなった。親と子という、血縁による平和な、動物的な、牧歌的な、共同体がほしいな、と思った。今、25歳、独身、彼氏アリ。結婚妊娠出産のコンボはまだまだ現実的、これからしっかりとスケジュールを作成すれば問題なく達成できる目標だ。

しかし、今ここで安易にフルコンボを目指せば40歳くらいで「私今まで子育てしかしてなかった、これからの人生どうしよう」となるのは目に見えている。というか絶対にそうだ。つまり、仮に29歳で出産を夢見るのであれば、それまでに何かを成し遂げなくてはならない。それは仕事でも勉強でも趣味でもいいのだけど。いい加減自分ができない理由を数えるのに疲れているし、何か、ひとつのことにエイヤッとPOWERを注ぐべきだと理性がささやく。しかしこの「頭では理解してる」という状態がよくなくて、つまりパワーが足りない。勢いが、ない。転職前のこの不安な・・・次の職場ではうまくやっていけるだろうか・・・気持ちが、もともとメンヘラな自分をさらにナーバスにさせる。

シェアハウスは現代の共同体となりえるのか。シェアハウスに入居する理由は、金銭的理由・人間関係の構築のどちらかなんじゃないのかなと思っていて、もしうまくいったら素敵だと思うけど、やっぱり不安だ。テラスハウス見てると、ああ、ああ・・・という気持ちにしかならない。それでもアレはうまくいってる方だ。テレビだから、というのがあるのだろうけど。

もしシェアハウスを運営したり居住していたとして、もし私が病気になって大手術が必要、しかし貯金がない、といったケースがあれば、おそらく両親を頼ることになるだろう(頼りたくないが)。困ったとき、シェアハウスのルームメイトが、私に何をしてくれるのだろうか。もしくは、私はルームメイトに何をしてあげられるのだろうか。きっと、これまでの高校時代の女友達の多くと同じく、一緒にいるときはある程度楽しく、しかし一度離れるときっと、会う回数は激減するだろう。そういうのが、すごく悲しい。いつか会えなくなる人々と出会うことのつらさ、とでも言えばいいのか。

結局、結婚という形でしか私の求める共同体は作れないのだ。でも、もっと地域や国家というものが身近に感じられ、そのセーフティネットを有効活用できるのであれば、生かされていることに多くの人が気付けるのではないかとも思う。人は生かされているということに気が付けなければ、周囲に優しくできないというか、真に丁寧に生きることができないように思う。

どうにもこうにも文章がまとまらない。

 

下の名前で呼ばないで

対して親しくもない人間(特に異性)から下の名前で呼ばれることに非常に抵抗がある。ていうかマジでキモいからやめてほしい。

さん付けならまあわかる。高校の先輩には下の名前かつ呼び捨てにされているがそれに対しては全く不満はない(先輩だしまあ仲も悪くないはずだ)。しかし、仕事で全く関わったことのない先輩で若手の飲み会で数回顔を合わせただけの先輩(しかもイケメンではない)にちゃん付けで呼ばれると「表出ろ」って気持ちになる。正直マジでキモい。本当にキモい。信じられない。今までどうやって生きてきたのか。だから彼女がいないんだろうし他人の気持ちがわからない奴につける薬はない。キモい。本当にキモい。会社のかわいい後輩をちゃん付けで呼ぶのはやめよう。本当に嫌われるから。個人的には無視したいレベルで無理になった。

メンヘラよコンビニを目指せ

メンヘラモードになると外出できないってのはよくある話なんだけど、そういうときこそコンビニを目指して砂漠と化したこの部屋を後にした方がいい。コンビニには水がある。メンヘラにとってそれは命の水だ。コンビニほど外出に適した目的地はないと思う。ある程度適当な服装でも大丈夫だし、お菓子ひとつは数百円だし、24時間営業だし。朝起きれなくなったらとりあえず夜にコンビニに行くことを最初の目標にしてほしい。精神科受診は難易度が高すぎる。一般に思われている心理的はーどるとかそういうのじゃない、単に予約がいっぱいで診てもらうまでにタイムラグが発生するからだ。まあ遠くまで外出するのマジムリだしね。

不安 その2

国賓だとか、そういう偉い人が乗った黒塗りの高級車が警察に囲まれて車道を走っているを見るととても安心する。

この世界には秩序があり、また人間には違いがあると認識できるからだ。

もし日本でみんなが同じ服を着ていたらと考えるとぞっとする。きっと他人を見分けることがとても難しくなるだろう。それは単に「誰が誰だかわからない」というものと、その人の住む社会階層が分からないという(もしくは社会階層がない)ことだからだ。社会階層がない社会なんてありえない。階層は必要悪だしむしろ社会の根幹だ。社会とは?それはある程度の人生の選択肢とある程度の人生ルートの整備だ。大卒、高卒。理系、文系。大企業、中小企業。正社員、派遣社員。ある程度の選択、ある程度の選別が許され、ある程度の人生の整備されたルートがある。先人たちやルールの作成側に回った人々によって整備された人生を歩むのがプレイヤーひとりひとりの使命だと思う。

もし僕の目がレントゲンになったら絶望して死んでしまうだろう。骨になってしまえば人間の差なんてない。デスノートの寿命が見える目よりよっぽどこちらの方が怖い気がする。人生とは?それは差を生み出すことだと思う。僕にとっては「絶望しながら」だけど。

国家や社会や宗教がなければ人は生きられないし、だけどそれらがあることで人は争う。でもそんなことで生まれる争いなんて必要悪なのかもしれない。むしろ争うためにもそういった大きなものは必要なのかも。適度な争い。

自分を証明するのは家庭しかない、身内とのつながりしかないような気もする。そこが最大の社会だとさえ思う。しかしそこから放逐された人々は?なんとなく無限に自分探しの旅を強いられているような、呼吸するたび肺がチクチクするような、そんな生きづらさだ。宗教を信じてみたくもあったけど、そこもまた、「家庭」という社会を把握している人間のためのものだった。人生のジプシーとでも言えばいいのか。いいかげん大人になれよと言いたい。

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何かを信じてみたいという気持ちでもって動くより、信じられるのは自分だけという前提で行動する方がうまくいってしまうことのつらさが、最近どうも耐え難い。

周囲の人の言動と行動から、自分がどれだけ価値のない人間か思い知らされる。職場では嫌がらせをされ、誰も助けてくれず、退職。実家にはもちろん居場所はない。古い友人はみな、この社会のエリート路線を突っ切っているし、みな家庭を知っている。何故僕だけ、すべての人が同じように見えるのだろうか。本来なら、各人の個性をオリジナルとして、安心して対話できるはずなのに、僕には人々が骸骨に見える。歩く骸骨だ。どうして人間は自分たちがほかの生物と同じようなものだと認識しないのだろうか。微生物に個性があるのだろうか。誰か教えてほしい。

いや、よく考えなくても、それは帰ることのできる家庭、これまでの人生の記憶がそうさせるのか。

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でも、なら僕のような人間はどうすればいいのだろうか。何を信じればいいのだろうか。一応、イケメンで才能ある若者にセクハラをすることをライフワークにしてはいる。オタサーの姫だとかサークルクラッシャーだとかに近い価値観なのかなと思う。つまり、異性からの承認欲求。ただし僕の場合、ただ見ていたいという気持ちのほうが強いが。例えばだけど、あなたは高級な絵画を買いたい?いや、見るだけで十分じゃないか。美しいものを見ていたい。僕の目から見て骸骨に見えない人間を見ていたいし、気持ち的には幸せになってほしい。でも、そうすると僕の人生はどんどん軽くなっていく。どうにも難しい。非常に残念なことだけど、小学生くらいから「家族がほしい」と思って生活してきた。つまり、僕を否定しない身内がほしいということ。つまり結婚または妊娠。しかし後者はマジムリ人生詰むので(僕は子供が苦手)、結婚したい。イケメンのパンツと結婚したい。イケメンのパンツと結婚できたら、今までの人生も少しは報われるだろう。