品川OLの腰掛日記

彼氏のことや仕事のことなど

今年27歳になるOLが本気で結婚について考えています

表題の通りである。

今の彼氏は優しいし好きではあるのだけど、最近本当にこの人と居ていいのかという疑念がむくむくと湧いてきた。一番大きなきっかけは彼が急に3週間も旅行に行ったことである。大学は卒業しない、入った会社はすぐに辞める。それは別にいい、一度きりの人生なのだからやりたいことをやってほしい(そう言えるのは私がちゃんと資格をもりもりと取得しがりがり働いているからなのだろうけど)。けれど何のアナウンスもなしに急に旅行に行かれるのはつらい。そのうえ、部屋には彼氏お手製の監視カメラが設置されているのだ。なんなんだこれは。

埋め合わせはする、と彼氏は言った。

彼氏が旅行中に引き払うという選択肢もないわけではなかったのだけど、前から欲しいと思っていたパナソニック頭皮マッサージ器と美味しいワインが送られてきたのでとりあえず「実家に帰る」コマンドは封印した。

しかし、帰国後もなんやかやと理由をつけてデートはお預けのような状態になっている。

なんというかつらい。本当にこの人でいいのか?数か月後に27歳を控え、結婚というステージが「そろそろ」から「マジで考えないとヤバい時期」に差し掛かりつつある。

「君はそろそろ結婚した方がいい」

久しぶりに会った前職の先輩と話していて、含蓄深いメッセージをいただいた。私の近況(主に恋愛周りの)を聴き終わった後の感想である。

「君の周りではそれが普通なのかもしれないけどさ。26歳ならまだかわいいものだし27歳でも許容できる。でも28歳ならイタい。君はそろそろ結婚したほうがいい」

・・・正論である。一気に目が覚めた。ありがとう先輩、という感じだ。

<課題>「素敵な異性」が多すぎる

高校の同級生から大学時代の知人友人あたりを見れば、知人男性のほぼ9割が結婚向き(高学歴、真面目、仕事してる)なので、「よし今から婚活するぞ」⇒出会いの場に繰り出す、みたいなことが全くできない。逆に言えば現在の知り合いの誰かと結婚することを意味しているわけで、こうなると一気にやる気がそがれる。私の中で結婚はもはやファンタジーなので、現実味が出てくると途端に放り出したくなるのである。素敵なイケメンから愛の告白を受けてハリーウィンストン(注 滅茶苦茶高い婚約指輪のことだと思ってください。アクセサリーのブランドです)貰う、みたいなのが「ありえない」ことだという常識は持ち合わせているのだけど、でもじゃあなんで結婚するんだろう。。。結婚しないといけないのか。。。いやだって私ちゃんと働いてるし。。。。みたいな気持ちになる。なっちゃう。

けれど一方で、27~28歳で結婚できる相手がおそらく自分の人生で結婚できる相手の中の最も条件のいい相手であることはもう疑いようのない事実なんだとも思う。だって周りを見たら、いい男性はみんな彼女がいて結婚していくじゃないですか。つらい現実ですけどね。まず見た目も稼ぎも性格も家庭事情もいい人が一抜けして、次に稼ぎと性格がまあまあの人が市場から消えていく。ここは夏のセール会場かよ。

20代後半で危機感皆無な独身彼氏無し女性

そしてまた一方で、知り合いの独身女性に目を向けると、正直本当に焼け野原のような状況になっていて筆舌に尽くしがたい。これは本当にひどくて、なんていうか見た目の問題はほとんど関わってこない。いや確かにモテるかどうかには関わってくるし重要なんだけどそれ以上に性格の問題がある。性格っていうか、危機感?「このままだと私は人生をひとりで生きていかなくてはならないかもしれない」という危機感が無い。なんであんなにのんびりしてられるんだろう。マジでわからない。彼氏がいる人に対しては別になんとも思わないんだけど、彼氏はいないし合コンはしてるって人が一番ヤバくて、なんで合コンなんだ?って思う。合コンで出会えると思ってるのだろうか。バーで出会ったとして、その人と結婚したとして、本当に幸せな家庭が築けると思う?本当にそう思うのか?

何事も、見切り・見極めが大事です。

 

他者を救うための手段としての愛

最近知り合いになった40代独身男性について書きたい。

彼は仕事もよくできて、性格も穏やか、センスも良く高学歴で、何故これで独り身なのか分からないくらい出来た人なのだが、結果として独り身なのだった。僕の分析力を駆使しても彼が何故今まで一人だったのか不明で、強いて言えば思い遣りがありすぎて本当のことを言えない(それは正確には思い遣りではなく、物事に波風立てたくないだけなのだけど)ことが表面上の問題、内面的問題は、たぶん若いうちに色々悟ってしまって、さらに大人になってからの様々の挫折も相まって、一生懸命生きることを諦めてしまっていて、それがすぐそばにいる人間をイラつかせるのだろうなと思った。

 

以前、「個性を大事に」運動が激しかったときはなんて無駄な活動だろうと思っていたけど今思えば小さい頃から何かしらを頑張らなければ(=個性を持たなければ)大人になってから生きづらいのだなと思う。僕は自分のことを無個性だと思う。けれどダサい個性ならいらないなとも思う。文学フリマで「私たちは◯◯女子!」てな感じで本を売ってる人たちがいてセンスがないなと思った(でも販売されていた冊子はとてもよい内容で、それがさらにラベリングに対して悲しみを抱かせた)。自分をラベリングするならまだしも自分たちをラベリングする行為には抵抗感がある。

普通に生きていれば個性なんて地元と家庭くらいしか発生源にできないものだろう。それ以外のものとなると恋愛くらいだ。他者を救うためには愛しかないのだろうなと思う。冒頭の彼は、今年から婚活をするらしい。なんて勿体無いと僕は思った。たぶん30代40代の婚活女性は彼の表面上のスペックしか見ないだろう。そんな女性と籍を入れたとして、そこに救いがあるのだろうか。それはただの退屈な生活の延長ではないのか。いや、本人はそれを望んでいるようなのだけど、僕としてはもう少し馬鹿になって生きて欲しいなと思うのだ。価値観の押し付けでしかないのだけど。

他者を囲うためには愛がなければいけない。赤い糸などでなく、愛の鎖が必要なのだろうな。僕は僕が気に入った人間は救いたいなと思うし、逆に言えば救えそうな人間しか好きにならないのだろうなとも思う。愛の鎖の可視化としての結婚があるのだろうし、それを拡張したものとして家庭も存在するのだろうなと思う。

僕の理想は、愛に根付いた家族を持つことだ。彼氏と結婚したいし、できることなら上記のおじさんも僕の家庭に組み込んでしまいたいなと思う。ホリィ・セン(@holysen)にこのことを話したら「革命的な手段」だと言われた。でも毒親持ちなら養子になりたいと思ったことがある人は多いと思う(それくらい僕は実家が苦手だ)。僕は彼氏と結婚したいし、おじさんの養子になりたいとも思う。できることなら僕が実家を出た後に実母に精神的にミンチにされたらしい弟もおじさんの養子にしてしまって、ハンドメイド家族を結成したい。

追伸)ういうれおかわいい。

恋愛から卒業したい

人生お疲れ様です。サークラ姉(@syuumatudannsi)です。この記事はサークラアドベントカレンダー二日目です。アドベントカレンダーの書き方がよくわかっていないので失礼があったらすみません。

僕がこじらせているものは容姿です。あとは強いていえば知性かな。そして恋愛。

こじらせた原因については、母親がかなり容姿に重きを置く人でした。よく考えれば知性も、母が好きなものでしたし、よくよく思い返せば母も恋愛好きなタイプでした。

自分語りですが、幼少期〜19歳ぐらいまでの間、ざっくり言うと父方の祖父母と両親からはほぼ虐待またはそれに近い扱いを受けていたので、愛情に飢えていた。昔から、人肌のあたたかさを知りたいなと思いながら生きていた気がする。具体的に言えば、僕は一浪してるんだけど、そのとき親から衣服も食事もろくに与えられなくて、夏は当然のようにクーラーのない部屋、そして冬ももちろんクーラーのない部屋、そして精神的な重圧に耐えかねて、最後には体を壊してしまった。完全にダメになって吐いているときですら、母は僕より汚れた床の心配をしていた。実は今でもそのときの後遺症に悩まされていて定期的に病院に通っている(薬がないと死ぬ)。

「容姿・知性(これは19歳当時、学歴と読み替えていた。いつも僕の周りには知性がない人はいなかったので、そこでランク付けをするとなると学歴しかなかった)・恋愛」。こじらせってワードの意味を、僕は「自分が『劣って』いるけれどこだわってしまうこと」と捉えている。そしてその定義に上記3項目は当てはまる。ここでひっかかるのが『劣って』いるという認知で、例えば僕は同志社大学卒なのだけど、入学時は比較的学歴コンプレックスがあった。それは旧帝だったり医学部だったりするのがあたりまえの友人に囲まれていたからそうなったのだけど、別に世間的に見れば同志社だって悪い大学ではないはずだ。

当時の僕は何故大学名にこだわってしまったんだろう。それは怖かったからかもしれない。僕が通っていた高校は進学校だったので、高校生の頃は一流大学を卒業して一流企業に入らないと死ぬって思っていたし、それはある意味正解だった(つまり一流大学を卒業して一流企業に入るであろう高校の同級生と共通の話題を持つことができないから、当時の私の世界が死ぬ、ということだ)。そして親から一流大学に入れなければお前に投資してきた学費が無駄になると圧をかけられていたから。実際のところ、就職してから学歴を感じることはあんまりない(例えば今の会社だと大方の人が僕より高学歴だけど、それが原因でつらい思いをしたことはない)。

容姿についてはあんまり悩んでいない。可愛く生まれてきてよかったって思う。もちろん僕より綺麗な人はいくらでもいるけど、容姿を原因にいじめれたりはしていないから。ならばなぜ「こじらせ」というかというと、やっぱり外見に執着しているし、今後加齢にともなっておばさんになっていくわけだし、やはり周囲の美醜を気にしてしまうから。

最後に恋愛なのだけど、これがいちばんやっかいだなと思う。

かつて、僕にとって恋愛とは家族をつくる過程だった。こう書くと僕が恋愛をただの道具としてしか見てないようだけど、道具を愛して何が悪いのでしょうか。大好きですよ恋愛。家族に恵まれなかったと自分では思っているので、自分のことを心から愛してくれる異性と出会って恋をして一生を共にしたいと思っていた。つまりそれは(僕にとっては)愛を表明するためには「結婚」して家族になってくれることが重要だった。そして僕は結婚したいと思える人としか付き合わなかった。けれどそんなこと言っていたくせに数年で彼氏は変わるし今の彼氏ともまだ結婚どころか婚約もしていない。愛とは。10代の僕が描いていた愛とは。

こう書くと婚活っぽくなってしまうのだけど、でもちゃんと恋愛はしていたんだよね。ちゃんと相手のことを好きだったし。

僕が強くなってしまったんだろうなと思う。高校時代の僕の予想に反して、僕はちゃんと大学を卒業しまともな企業で普通に働いている。別に他人に頼らなくても(家族がいなくても)ひとりでやっていけるのだ。ここ数年、特にそれを実感している。

若い頃は恋愛の仕方がわからなくて、ただ相手を思っているだけで恋愛に満足していた。コントロールが効かない暴投を豪球だと思っているみたいな。ここ最近の小賢しい私は、すっと相手の手を握れば男性が落ちることを知ってしまった。だから、恋愛で満たされなくなってしまった。自分がかわいいことを知っていて、相手から拒絶される不安感ゼロで「好き」って言えることの軽さが、恋愛の醍醐味(相手に受け入れられるかの不安感)を感じさせなくしているんだろうな。

恋の終わりってなんなのだろう。両思いになればいいの?付き合えばいいの?キスすればいいの?結婚すればいいの?子供ができたら?一緒のお墓に入ったら?恋愛の終着駅が見つからないから、私の恋路は暴走一直線。本来ならパートナーと長年連れそうことで愛を深めていくのが正解なんだろうけど、結婚はしてないし、愛を深めるにはまだ年齢が足りないような気がする。

小手先のテクニックだけはあって、相手を受け入れる気はさらさらなくて、だけどターゲットの異性にかける言葉は優しい。でも本当の恋愛は、相手のことを受け入れたくて、相手に受け入れられたくて、お互いの思いの差異やすれ違いにやきもきしたり一喜一憂したり、そういうものなんですよね。というか、そうであって欲しい。その過程で、ずっと一緒にいられたらいいね、って言いながら籍を入れたい。なんていうか今の彼氏はすぐに私をすべて受け入れてくれたから恋愛の醍醐味的なのが一切なくて、なんだかつるつるした関係だなって思う。

軽い恋愛から卒業して、もう一度大恋愛がしたいと思う。

3日目はホリィ・センさんです。よろしくお願いします。

<追伸>年末にサークラ関係者で合宿やるので興味ある人は連絡ください。私と面識がなければホリィセンに繋いでもらってください。

 

雑記

転職して半年近くなった。職場には慣れた。小規模な会社だから関わる人もそこまで多くはなかったのが幸いした。同じ課の先輩社員は相変わらず体調不良を様々な方法で表現しており、そこだけ切り取ればもはや芸術の域といってもよいだろう。先輩を立てることが周囲からの評価へとつながることはよくわかっているのだけど自らのモチベーションを犠牲にそこまでするのは現状よろしくないという判断(と、あまりの先輩のかまってちゃんに生理的にもう無理)の上、今はほぼ無視している。そんな状態で業務を単独で回すのは事実上不可能であり(まだ転職して半年)、実際のところすぐ隣の課の先輩社員と仲良くなり、作業の不明点があれば随時確認、修正指示をもらうといった流れで業務を進めている。社内には私の鬼のようなやり口にご批判もあるような気がしてならないが「そんならお前代わりにやれ」と言われるのが嫌なのだろう、誰も言ってこない。いつから自分がこんなに強か(❓)になったのか分からない。事実上先輩を無視し、上司の指示に沿うように見せながら社内調整を意識してバランスよく作業を進めて行く。そしてマメな進捗管理。積極的な電話応対。忙しいときほど周囲の作業状況を確認して、追加の作業依頼を出したり、無理そうな作業はペンディングさせたり。ダメなところは短気ですぐ怒ってしまうところ。できるだけにこやかに対応してはいるんだけど不安だ。怒った人のところに報告しにくいじゃん。報告を受けられるように常にウェルカムな雰囲気でないといけないなと思う。

僕は僕が指示を出す対象者に対しては一定の責任があると強く思っている。責任というのは、能力の範囲内である程度の量の仕事を適切に割り振り、作業が完了すれば謝意を表明する、もし作業がうまくいかなったとしてもそれは私の責任になる、というごく単純なものだ。以前の会社だとなかったのだけど、今の私の周囲にいる人たちはどうも部下や後輩のミスをかばうような姿勢は全く存在せず、何かあれば言を翻して逃げ、とりあえず最低だなと思う。部下の作業進捗を把握せず、また人員を余らせる。ずさんな管理体制。自身の業務にかまけ、部下のフォローができないような人間が人の上に立てるわけがないのだが、そういうのが公然とまかり通っている。思えば今の会社はOJTとかもなさそうだ。新入社員はどうやってメールの書き方を習うのだろう。最初にある程度まともな会社に入社したのはあながち間違いでもなかったんだろうなと思う。

僕はまだまだ半人前だけど、それでも責任がある。僕が指示を出すのだから、指示を出される人の前ではある程度しっかりしないといけないなと思う。それが相手へ安心感を与えることにもなるし。最近全然勉強できてないし、思えばシステム開発手法(上流)とか契約とかの手続き的なところも勉強しないといけないなと思う。

 

先生(僕には過去様々な先生がいた。お兄ちゃん、イスラームのゼミの教授、そしてクローズドなゼミでお世話になったこの作家先生である)から、書く文章が法学部っぽいと言われたことがあるのだけど、それは小学生の頃の算数や現代文の授業が影響しているのだろうなと思う、仕上げに予備校の小論文の講義で磨きがかかった。試験答案に記述することは脳みそを使いはするけれどとても機械的でそれはそれで嫌いではない。

 

本当に書きたかったのは下記なのだけどつかれた。また今度修正する。

前から思っていたのだけど、今後のキャリアというか人生について。転職を繰り返してキャリアアップを図るという気持ちと、今の会社で頑張るというのと、恋に生きるというのと。最後のやつが一番頭おかしくて、正直もう軟禁されたいのだ。バリバリ働いても所詮私の能力ではたかが知れてる。すべてすてて軟禁されて、下手すれば田舎に連れて行かれて、たまに散歩に出るだけの生活がしたい。自分の意思では絶対にできない、なぜなら責任がある、理性がある。だから誰かに事故・衝動的犯行によりすべてを終わらせて欲しいという気持ちがある。でも怖いのだ、不安だから働いていたいのだ。だから軟禁されたさがある。いつも積極的な自分がすごくしんどい。自ら行動する自分が好きだしそうしなければならないとも思う、けどつらい。だれかかばって欲しいし、たまには受け身になりたい。というか寝たい。でも多分、だれも軟禁してくれないだろうなと思う。僕に軟禁される価値なんてないし、軟禁するような人種に僕が好きな人はいないだろう(皆、僕が働いていることをよしとする人ばかりだった)。たまに人生に絶望する。社会にでたくないし、社会を見たくない。痛みを受け切った自分に自己陶酔することはできるけど、あまりに報われないならそれはもう悲しい。

25歳OLが東京の中心でモテたいと叫ぶ

小さい頃からいわゆるイケメンに比較的ご縁があるほうでした。

幼馴染は幼稚園児ながら園内でトップクラスのモテを誇っており、当時すでにやばい女の子(その子は数日おきにラブレター的な何かを書いて渡していたり、私と彼が二人して入会したスイミングスクールに翌週から通いだしたりとマジヤバかった)に付きまとわれていた。私はその幼馴染のことは全くかっこいいとは思えなかったんだけど(まあ幼稚園児だしな)、まあそんな感じ。

高校時代は部活で学内でも3本の指に入るイケメン先輩とペアを組んでいた。部活の用事があって先輩を教室まで呼びに行ったら両手に華の状態の先輩がそこにはいて(無双かよ)、「あの、」と声をかけたら手をヒラヒラされた。つまり「あっちへ行け」という意味である。思い出したら処刑したくなってきた。あの野郎、ちょっとモテるからっていい気になりやがって。この先輩、恋多き人だったのだけど彼女と別れた後はいつも顔に縦線が入っていて大変分りやすかったですハイ。

腹立つ!!!!!

私はモテないのに!!高校時代一度も告白されたことなかった!!!てか「告白」てなんなんだ、ここは告解室じゃない。なんで❓なぜ❓私はそこまで不細工だったのか❓高校時代一切告白されなかった。みんなされていたのに!あーあーあー。あたしモテない。大学に入っても非モテだけは継続していた。全然ダメだった。まあ理由はわかる。アクシーズファムというオタサー姫ファッションだったからだ。あとテニサーに入れなかったから。

大学のサークルの部室で私が入ってきたときは誰も何もアクション無しだったのに5分後入室してきた同期の美少女に対しては「おつかれさま!」「ゲームする❓」などの丁寧かつ積極的な声かけをしていた男どもマジでGO TO HELL.でもいいの、奴らはイケメンじゃなかったから。私が分からないのはね、友人には非の打ち所がなさすぎるイケメンがたくさんいるのに全く一度も何の過ちもないまますれ違い続けることなの。なんで❓何がダメなわけ❓「イタズラなKISS(少女漫画。ダメダメな女の子がひょんなことからイケメンと同居する神展開が俺的にサイコーすぎる。ドラマ化されているので是非見てください。古川雄輝くんが最高にイケメンです。白衣最高)」的な展開が一度としてないんですけど❓

言わせてくれ。

私も制服デートがしたかった。放課後の図書室で彼氏と勉強してみたかった。

(現実はオタ友とアニメイト

あーあーあーあーあーあーあーああー

やっぱり中高の恋愛は大事だよね。それが以後の人生のモテヒエラルキーの位置付けを決めるような気がします。

結論;私はモテない。

アニメキャラと結婚したい

小学生、いや幼稚園の時分から、アニメばかり観てる子供だった。物心ついたときにはすでに食い入るように美少女戦士セーラームーンを毎週観ていた。正直セラムンさえ視聴していなければこんなに夢見がちにならなかったのではないかとさえ思う。恐ろしやセラムン。別に私のアニメ遍歴をここでさらけ出したくはないんだけど(クッソ恥ずかしいだけだ)、私はセラムンがベースにあるから、女の子(=自分)はイケメンで優しい異性と付き合って結婚するものだと信じていた。信じていたというよりそれが常識だった。確かに中高生の頃はその年代にあった漫画やらアニメやら観てたから多少は矯正されたけど、にしたってルルーシュも王子様だしなあ。日本は多神教だけど案外王家も多いのかもな。

そんなアニメ少女が小学生の頃から抱えていた大きな問題意識が、「アニメキャラとは触れ合えない」という問題だった。なんていうか人肌恋しい子供だったのだ私は。アニメにも動物園のようにふれあいコーナーがあればいいのだけど生憎そんなものは存在しない。

幼少期、これは死活問題だった。だって三次元の男の子ってほぼ9割気持ち悪いじゃん。すぐ泣くし(まあタキシード仮面もすぐ敵に捕まるけどな)イケメンはすごく少ないし、なんか生理的に無理。人間味溢れすぎてて無理。そうこれ、人間味。肌色率が高すぎるのだ。アニメキャラはだいたい肌面積が少なくて、人間味が少なくて、そもそも生物じゃないのだ。すごく安心できるのだ。お分りいただけるだろうか。私は人間が嫌いだ。特に人間の肌色が嫌い。生々しすぎる。あの考え方の利己的な感じも大嫌いだ。あんなんでは無私の愛とか不可能だろう。現実はアニメ化できない。つらい、つらすぎる。アイドルならギリギリわかるけどね、アイドルは紙面か画面かステージだもの。握手会ってそう考えるといいシステムだよね。ギリギリ触れ合えるから。

異性への思いはファンタジーじゃないといけないと思うんですよ。神さまもいない、奇跡は起きない、明日の天気は科学が教えてくれる、病気は病院へ行って治す(そしてよくある医療ミス)。平均寿命が毎年更新され、平均年収が晒され、平均結婚年齢まで出てくる。こんな世の中だと、自分の人生がある程度予想がついてしまって、本当につらい。「うちの大学のこの学部の人はこの会社に入っています。」こうやって、過去事例に縛られていく。この社会はもうこれ以上発展しないだろう、なんて思いながら、似たような人生を歩んでいく。そんな中で唯一定まらないもの、それが恋愛であったり結婚であったりするわけです。

しかし!僕が好きなアニメキャラは!触れない!触れられない!

一応、夢小説で補完するだとかいっそ小説家になるとかアニオタ同志でワイワイやるとか、楽しむ方法はあるわけなんですけど、個人的に人肌がないのはアウトでした(本当の肌は気持ち悪いんですけどね。質量と温かみさえあればいいんです)。なので、対策としては下記となりました。

・ アニメキャラみたいな人を探す(イケメンで中性的(生理的に無理でない)で天才的な才能がある。できたら高学歴高収入)

はい、ほぼ無理です。だってそんな人間に釣り合う人間じゃないもの自分が。何回整形したらいいんだよ。。。

まともな会社に勤めてる人ってのは社会的に安心感がありますけど、同時に女同士のマウンティングに巻き込まれそうで嫌だなとも思う(旦那の勤めてる会社でマウンティングされそう)し、将来が見えるわけですよ。だって定年があるんだぜ?

にしてもアニメキャラが魅力的なのは空想だからなんだと思うんだよな。なんていうかあれこそがあるべき姿なんだと思うよ。明日からコスプレして過ごそう。

ていうか今更だけどセーラームーンって確か将来的には東京都知事になるんだっけ。やっぱり面白いよな。

 

 

事後報告

夏バテしてしまっている。食欲が夏の大セール中で70%オフくらいになっていて、ざっと2㎏ほど痩せた。最近、彼氏さんからは脚が太いことを指摘されていて、この機会を活かして豚足からの脱出を果たしたい。仕事で、どれだけしんどくても笑顔でいるんだけど、そのせいで「こいつは大丈夫」と思われてしまったらしく、少しづつ業務範囲が広がっていってる。先輩社員のことがどうしても許せなくて、本当に苦手になってしまった。優しい顔をして責任はとらないタイプの人間はタチが悪いなって思う。「悪い奴じゃない」上司はそう言ってたけどそれが一番扱いに困るタイプの人種なんだよ、ここは幼稚園じゃないし俺はカウンセラーではない。実際のところ、自分の精神が、かき氷機が氷を削るかのようにガリガリとすり減らされ、夏の暑さによって溶けていく。

つらいとかつらくないとか、そういう感覚がどんどん麻痺していく。何故自分が怒っているのかさえ分からなくなって、とりあえず酒を飲んで寝る。自分が何をしたかったのか思い出せなくなって、とりあえずゲーセンに行く。この人のどこが好きだったのかしらと思って、思い出して、終わる。きっとこの夏は浴衣も着ないだろう、花火も観ないだろう、旅行にも行けないだろう。四季が消えていく。毎日が平坦になっていって、気が付いたら削るための心すら失っている。神様がどこにいるのかわからなくなったら教会に行くか、あるいはモスクに行くべきだと思う。闇の中を走り続ける孤独なランナーになってはいけない。だけどどうしたらいいのかわからない。夏祭りの屋台の金魚すくいのあの金魚のように、酸欠になって口をパクパクさせて、それで終わり。

人生に文句ばかり言っている自分が嫌だなと思うけど、希望を口にするたびぶん殴られるような目に遭えばこうならざるを得ないのかなとも思う。他人の前では笑顔でいるから、別にいいんだろうけどさ。ただ、自分がどこまで頑張れるのかの限界に挑戦し続けるような人生は本当にもうつらいし、本当に日々死にたさから目を背けて業務に打ち込んでいると、本当につらい。つらいってなんなのか。終わりがない、報われない、誰からも褒められない。そう、私は職場で全く褒められない。誰かに褒めて欲しい。嫌味とか、無茶振りとかでなく。本当にしにたい。彼氏?だれだそれは。彼氏は私のツイッターを見るのをとうの昔にやめてしまったらしい。「こっちまで落ち込む」と彼は言う。正論すぎる。そうか、私は彼氏を傷つけることすらできないのか…と、謎の無力感を得た。一昨日からスコールの如く断続的に大泣きしていて目が腫れ喉が腫れ頭が痛い。誰かに助けて欲しい。もう死にたい。