品川OLの腰掛日記

彼氏のことや仕事のことなど

不安 その2

国賓だとか、そういう偉い人が乗った黒塗りの高級車が警察に囲まれて車道を走っているを見るととても安心する。

この世界には秩序があり、また人間には違いがあると認識できるからだ。

もし日本でみんなが同じ服を着ていたらと考えるとぞっとする。きっと他人を見分けることがとても難しくなるだろう。それは単に「誰が誰だかわからない」というものと、その人の住む社会階層が分からないという(もしくは社会階層がない)ことだからだ。社会階層がない社会なんてありえない。階層は必要悪だしむしろ社会の根幹だ。社会とは?それはある程度の人生の選択肢とある程度の人生ルートの整備だ。大卒、高卒。理系、文系。大企業、中小企業。正社員、派遣社員。ある程度の選択、ある程度の選別が許され、ある程度の人生の整備されたルートがある。先人たちやルールの作成側に回った人々によって整備された人生を歩むのがプレイヤーひとりひとりの使命だと思う。

もし僕の目がレントゲンになったら絶望して死んでしまうだろう。骨になってしまえば人間の差なんてない。デスノートの寿命が見える目よりよっぽどこちらの方が怖い気がする。人生とは?それは差を生み出すことだと思う。僕にとっては「絶望しながら」だけど。

国家や社会や宗教がなければ人は生きられないし、だけどそれらがあることで人は争う。でもそんなことで生まれる争いなんて必要悪なのかもしれない。むしろ争うためにもそういった大きなものは必要なのかも。適度な争い。

自分を証明するのは家庭しかない、身内とのつながりしかないような気もする。そこが最大の社会だとさえ思う。しかしそこから放逐された人々は?なんとなく無限に自分探しの旅を強いられているような、呼吸するたび肺がチクチクするような、そんな生きづらさだ。宗教を信じてみたくもあったけど、そこもまた、「家庭」という社会を把握している人間のためのものだった。人生のジプシーとでも言えばいいのか。いいかげん大人になれよと言いたい。

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何かを信じてみたいという気持ちでもって動くより、信じられるのは自分だけという前提で行動する方がうまくいってしまうことのつらさが、最近どうも耐え難い。

周囲の人の言動と行動から、自分がどれだけ価値のない人間か思い知らされる。職場では嫌がらせをされ、誰も助けてくれず、退職。実家にはもちろん居場所はない。古い友人はみな、この社会のエリート路線を突っ切っているし、みな家庭を知っている。何故僕だけ、すべての人が同じように見えるのだろうか。本来なら、各人の個性をオリジナルとして、安心して対話できるはずなのに、僕には人々が骸骨に見える。歩く骸骨だ。どうして人間は自分たちがほかの生物と同じようなものだと認識しないのだろうか。微生物に個性があるのだろうか。誰か教えてほしい。

いや、よく考えなくても、それは帰ることのできる家庭、これまでの人生の記憶がそうさせるのか。

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でも、なら僕のような人間はどうすればいいのだろうか。何を信じればいいのだろうか。一応、イケメンで才能ある若者にセクハラをすることをライフワークにしてはいる。オタサーの姫だとかサークルクラッシャーだとかに近い価値観なのかなと思う。つまり、異性からの承認欲求。ただし僕の場合、ただ見ていたいという気持ちのほうが強いが。例えばだけど、あなたは高級な絵画を買いたい?いや、見るだけで十分じゃないか。美しいものを見ていたい。僕の目から見て骸骨に見えない人間を見ていたいし、気持ち的には幸せになってほしい。でも、そうすると僕の人生はどんどん軽くなっていく。どうにも難しい。非常に残念なことだけど、小学生くらいから「家族がほしい」と思って生活してきた。つまり、僕を否定しない身内がほしいということ。つまり結婚または妊娠。しかし後者はマジムリ人生詰むので(僕は子供が苦手)、結婚したい。イケメンのパンツと結婚したい。イケメンのパンツと結婚できたら、今までの人生も少しは報われるだろう。